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柴田勝頼の影 2017.4.13新宿FACE

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今年初の「LION'S GATE PROJECT」で海野レフェリーの次男・翔太がデビューしました。

新日本ワールドは固定カメラだったので、その表情はよく分からず、ちょっと残念でしたが、体つきは遠目に見てもしっかりしているような感じでした。

レフェリーである父が息子のデビュー戦を裁くというのは、かつて柴田勝頼もそうでした。

1999年10月10日後楽園ホール

井上亘 (チキンウイングアームロック) ✖柴田勝頼

※ちなみに井上亘もデビュー戦であり、この日は棚橋弘至真壁刀義を相手にデビュー戦を飾っている。

父・勝久は、息子がギブアップしないことを分かっていたのか、20歳の勝頼のデビュー戦をレフェリーストップで終了させました。

「ギブアップしていない」と悔しがって涙を流さんばかりの勝頼に父は言いました。「父親としてでなく、レフェリーとして判断したんだ。完全に腕が決まっていたから止めたんだ。あれで我慢しても、何ヶ月も試合が出来なくなる。負けが自信に繋がっていくんだ。ようやった。これからは毎試合カードが組まれるようになって欲しい」
そうアドバイスを送ると、息子は「ハイ」とうつむいた。

 

アントニオ猪木の何人かいた用心棒のひとりだった柴田勝久は、新日本旗揚げから参戦し、ほどなくレスラーを引退したのちレフェリーとして新日本マットに上がっていました。

「ドーリー!」

小さい頃プロレスを見ていて、この声が聞こえると「なに言ってんだろー?」と思っていましたが、その息子がプロレスラーになると知って、将来どんなレスラーになるのか楽しみにしていたことを思い出します。

2000年代に入って僕自身がプロレスに興味を失っている間、新日本を辞めたことは知っていましたが、その後の彼がどのような経過をたどったのかは知るすべもありません。

そして2012年の夏、柴田は戻るべき場所に戻ってきました。

古巣復帰の禊ぎとなるべく2017年4月9日両国国技館における柴田の戦いには、45年前の閑散とした会場で、父もおそらく繰り出していたであろう技の数々が散りばめられていたと思います。

オカダ・カズチカは過去の新日本を全く知らないし、気にもしないと言っていますね。

それは当然だし、全く正しいことです。いまの新日本はとても楽しい空間なので・・・

しかし、あのマット上には確実に45年前から続く何かががあると僕は信じています。

オカダには期待しています。そして今日デビューした彼にも。

プロレスの世界の先輩として、父親として、コメントを求められた父は「先輩としては、まだまだ顔じゃないでしょ。父親としては、ちょっと一人にさせて。トイレで泣いてくるから」

息子・翔太「もっともっと練習して、もっともっと強くなって、新日本でテッペン獲ります! ありがとうございました!」

 

4月10日以来、柴田のその後の経過は伝わってこないですね。

無事に回復していることを願っています。

いつかどんな形でもいいので姿を見せてくれることを信じてるから。